御祭神と当社の歴史
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御祭神

菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)
応神天皇(おうじんてんのう)
仁徳天皇(にんとくてんのう)

縁起

 応神天皇の末の皇子であった菟道稚郎子は幼い頃から博識聡明だった。そのため父君の応神天皇が大切に手をかけて育まれ、皇太子となった。

 しかし、応神天皇が亡くなられ、菟道稚郎子は兄である仁徳天皇に天皇の位を譲り、現在の宇治の地に離宮を建てて、一切の政をしなくなった。しかし、仁徳天皇も「菟道稚郎子が、皇位を継ぐことは、応神天皇が定められたことなので、変えることはできない」と言い、3年間もの間、皇位を譲り合った。

 国民は戸惑い、世の中も乱れ始め、菟道稚郎子は自身の行いで、このあり様をご覧になり、悲しまれ、心を痛まれて、「このまま私が生きていれば、世の中が乱れるばかりだ」と、自ら命を絶った。

 これを知った仁徳天皇は、難波から急遽、宇治へお越しになり、驚きと悲しみの中、菟道稚郎子を手厚く葬られた。

 これが、後々になって当社の創建のいわれとなる。

御陵

応神天皇:誉田御廟山古墳

仁徳天皇:大仙陵古墳

菟道稚郎子
菟道稚郎子の陵墓は江戸時代前半まで所在不明だった。宇治川両岸一覧を見ると、朝日山山頂に位置すると記述がある。明治22年に丸山古墳が比定された。
丸山古墳は当社から徒歩15分(お茶と宇治のまち歴史公園の横)
朝日山山頂は当社から徒歩30分
※丸山古墳、朝日山山頂へ行かれる際は、当社駐車場で駐車は出来ません。近隣のコインパーキングをご利用ください。
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